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伊都国 [日常]

gWnCZy306Ic0dv4Nrp0Y0kzx.jpg魏志倭人伝でもおなじみの伊都国
現在の糸島半島から前原界隈
末露国(現在の唐津)に着いた中国からの使者は、北東に進路を取り、志摩方面を目指す。
加布里から博多湾(当時は海が繋がっていた)方向に進むとこの今山が見えてくる。
現在の今津、横浜の交差点横にある80mほどの小高い丘だ。



c0a0Wo00l45NMXXO0QE1s1Mh.jpg今山から加布里、唐津方面が見える。
古代の伊都国人も同じ風景を見ていたに違いない。
ただし、この緑の田園地帯は海であった。
中国(魏)からきた人々は、ここで通関を済ませ伊都国へ入国し、邪馬台国へ向かう。

この山は玄武岩からできており、九州、西日本から中国地方の石斧のほとんどはここから輸出されている。


cO6Y0QXW4OB1b7ce600Nr1wG.jpgこの写真右下の4個の左端が原石。
これを加工して右端の斧になる。

映画『まぼろしの邪馬台国』の冒頭のシーンはここから始まる。
歴史的にも非常に重要なポイントだ。


5cYO4r00h1gG0ownlE3YP1wg.jpg写真上方が昨日紹介した 可也山
その西側のふもとに、新町遺跡がある。


l5f0MLYa4rMP0QBk0EjL6k1R.jpg発掘されたまま、保護のためすっぽりと建物で保護されている。
弥生時代なのだが、なんと埋葬されているのは縄文人
この謎はまだ解明されていない。


志摩から前原エリアへ移動
もう日が傾いているので、明るいうちにと、急いで巡る。
かなりの数の古墳があるがもう巡りきれない。
手っ取り早く博物館で見ようと。伊都国歴史博物館へ行ったが、残念ながら閉館の時間
次の機会にとお預け

近場の平原古墳へ向かう


qnDNlgInA100E3-dbrwe60Mt.jpg正直、このような近い場所に多数の古墳群があり、貴重なものがたくさん発掘されていたことに、改めて驚いた。


_mVO6E30uhs50wy108eYc0sd.jpgきれいに整備された遺跡公園になっている。


hPF10kNO71-860weahs1u1wp.jpgこの古墳から世界最大の銅鏡が出てきた。
銅鏡は国宝として、現在、九州国立博物館に保管展示されている。
古墳の主は女性。
この地域の女王であったようだ


hemL0o00Wgs56U5Obz70MvFH.jpg帰路、途中の生の松原に立ち寄る。
ここに、鎌倉時代作られた元寇防塁が原型のまま保存されている。
この防塁が糸島半島から博多湾一帯に築かれていた。

EkAnWAPOE20Y60g7l0b04rwA.jpgこのあたりで日没
画面左端に可也山の裾野が少し見えている。

ああ、あまりに多くの遺跡があるので見きれなかった
次回の楽しみとしてとっておこう。




平原歴史公園




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