伊都国 [日常]
魏志倭人伝でもおなじみの伊都国
現在の糸島半島から前原界隈
末露国(現在の唐津)に着いた中国からの使者は、北東に進路を取り、志摩方面を目指す。
加布里から博多湾(当時は海が繋がっていた)方向に進むとこの今山が見えてくる。
現在の今津、横浜の交差点横にある80mほどの小高い丘だ。
今山から加布里、唐津方面が見える。
古代の伊都国人も同じ風景を見ていたに違いない。
ただし、この緑の田園地帯は海であった。
中国(魏)からきた人々は、ここで通関を済ませ伊都国へ入国し、邪馬台国へ向かう。
この山は玄武岩からできており、九州、西日本から中国地方の石斧のほとんどはここから輸出されている。
この写真右下の4個の左端が原石。
これを加工して右端の斧になる。
映画『まぼろしの邪馬台国』の冒頭のシーンはここから始まる。
歴史的にも非常に重要なポイントだ。
写真上方が昨日紹介した 可也山
その西側のふもとに、新町遺跡がある。
発掘されたまま、保護のためすっぽりと建物で保護されている。
弥生時代なのだが、なんと埋葬されているのは縄文人
この謎はまだ解明されていない。
志摩から前原エリアへ移動
もう日が傾いているので、明るいうちにと、急いで巡る。
かなりの数の古墳があるがもう巡りきれない。
手っ取り早く博物館で見ようと。伊都国歴史博物館へ行ったが、残念ながら閉館の時間
次の機会にとお預け
近場の平原古墳へ向かう
正直、このような近い場所に多数の古墳群があり、貴重なものがたくさん発掘されていたことに、改めて驚いた。
きれいに整備された遺跡公園になっている。
この古墳から世界最大の銅鏡が出てきた。
銅鏡は国宝として、現在、九州国立博物館に保管展示されている。
古墳の主は女性。
この地域の女王であったようだ
帰路、途中の生の松原に立ち寄る。
ここに、鎌倉時代作られた元寇防塁が原型のまま保存されている。
この防塁が糸島半島から博多湾一帯に築かれていた。
このあたりで日没
画面左端に可也山の裾野が少し見えている。
ああ、あまりに多くの遺跡があるので見きれなかった
次回の楽しみとしてとっておこう。
現在の糸島半島から前原界隈
末露国(現在の唐津)に着いた中国からの使者は、北東に進路を取り、志摩方面を目指す。
加布里から博多湾(当時は海が繋がっていた)方向に進むとこの今山が見えてくる。
現在の今津、横浜の交差点横にある80mほどの小高い丘だ。
今山から加布里、唐津方面が見える。
古代の伊都国人も同じ風景を見ていたに違いない。
ただし、この緑の田園地帯は海であった。
中国(魏)からきた人々は、ここで通関を済ませ伊都国へ入国し、邪馬台国へ向かう。
この山は玄武岩からできており、九州、西日本から中国地方の石斧のほとんどはここから輸出されている。
この写真右下の4個の左端が原石。
これを加工して右端の斧になる。
映画『まぼろしの邪馬台国』の冒頭のシーンはここから始まる。
歴史的にも非常に重要なポイントだ。
写真上方が昨日紹介した 可也山
その西側のふもとに、新町遺跡がある。
発掘されたまま、保護のためすっぽりと建物で保護されている。
弥生時代なのだが、なんと埋葬されているのは縄文人
この謎はまだ解明されていない。
志摩から前原エリアへ移動
もう日が傾いているので、明るいうちにと、急いで巡る。
かなりの数の古墳があるがもう巡りきれない。
手っ取り早く博物館で見ようと。伊都国歴史博物館へ行ったが、残念ながら閉館の時間
次の機会にとお預け
近場の平原古墳へ向かう
正直、このような近い場所に多数の古墳群があり、貴重なものがたくさん発掘されていたことに、改めて驚いた。
きれいに整備された遺跡公園になっている。
この古墳から世界最大の銅鏡が出てきた。
銅鏡は国宝として、現在、九州国立博物館に保管展示されている。
古墳の主は女性。
この地域の女王であったようだ
帰路、途中の生の松原に立ち寄る。
ここに、鎌倉時代作られた元寇防塁が原型のまま保存されている。
この防塁が糸島半島から博多湾一帯に築かれていた。
このあたりで日没
画面左端に可也山の裾野が少し見えている。
ああ、あまりに多くの遺跡があるので見きれなかった
次回の楽しみとしてとっておこう。
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