杷木 一の瀬焼 [日常]
なんか渋い話題が続いて我ながら恐縮するが、備忘録として記しておく。
私は杷木焼として記憶していたが、福岡県朝倉市の現地に行くと確かに杷木(はき)だが、一の瀬焼と書かれていた。
このエリアは豊臣秀吉が朝鮮から職人を連れてきて住まわせ、陶器を創らせた場所。
現在も6〜7軒の窯があり、今も元気に作陶している。
これらの窯元をまわる 窯元巡り というのぼりが立っていた。
父がかつて、よくここ杷木の窯元を巡っていて、私も一度行ってみたいと思っていたこともあり、やっと実現できた。
多くの方々は有田焼などのポピュラーな窯元へ行くが、このあたりは結構、通の方々が訪れる。
窯元によって当然その作風も異なるが、結構渋い作品が目につく。
丸田窯から歩いて4〜5分の明窯。
小高い丘の上に窯があり、遊び心を感じさせる作品が多い。
作家にもお会いしたが、まあ、この世を趣味で生きているような、うらやましい生き方を感じた。
ひとつひとつをじっくり拝見すると、結構考えられて創られている。
我が無線小屋にも似たような焼き物が並んでいる。
親が歩いた跡を歩いているようで、まるでタイムスリップした感覚だ。
私は杷木焼として記憶していたが、福岡県朝倉市の現地に行くと確かに杷木(はき)だが、一の瀬焼と書かれていた。
このエリアは豊臣秀吉が朝鮮から職人を連れてきて住まわせ、陶器を創らせた場所。
現在も6〜7軒の窯があり、今も元気に作陶している。
これらの窯元をまわる 窯元巡り というのぼりが立っていた。
父がかつて、よくここ杷木の窯元を巡っていて、私も一度行ってみたいと思っていたこともあり、やっと実現できた。
多くの方々は有田焼などのポピュラーな窯元へ行くが、このあたりは結構、通の方々が訪れる。
窯元によって当然その作風も異なるが、結構渋い作品が目につく。
丸田窯から歩いて4〜5分の明窯。
小高い丘の上に窯があり、遊び心を感じさせる作品が多い。
作家にもお会いしたが、まあ、この世を趣味で生きているような、うらやましい生き方を感じた。
ひとつひとつをじっくり拝見すると、結構考えられて創られている。
我が無線小屋にも似たような焼き物が並んでいる。
親が歩いた跡を歩いているようで、まるでタイムスリップした感覚だ。
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