下関 壇ノ浦の旅 [日常]
9月も中旬、小さな秋を見つけようと、阿蘇方面を考えていたが、台風16号が南から間近に迫ってきたため、逆に北側へ移動する事にし、下関方面へ行く事にした。
大河ドラマ(あまり見ていないが)平清盛ブームで観光客が多くなったようだが、ゆかりの地 壇ノ浦を訪れる。
左の写真は、本州(下関)側から関門海峡越しに見る九州(門司)。
下関といえば、唐戸市場が頭に浮かぶ。
元来、魚市場内で飲み食いしたり、物販をする事は禁じられているそうなのだが、地元活性化のために、下関が地元の安倍晋三が動いて、唐戸市場特区を作ったため盛況し、観光地となったようだ。
壇ノ浦といえば、源平合戦で滅びた平氏終焉の地。
その平家最後の天皇で入水して没した幼い安徳天皇(8歳)を祀っている赤間神宮。
珍しい竜宮造りの「水天門」
最初は阿弥陀寺というお寺だったが、明治の廃仏毀釈で、地名より赤間宮となった。
丁度結婚式が行われており、巫女さんの舞いを見る事が出来た。
神殿の奥で結婚の儀式が行われている。
境内には平家一門の墓がある。
墓の横にある墓銘。
平家一門の墓というと、史実ではないが、琵琶法師「耳なし芳一」が思い浮かぶ。
この墓所の入り口に芳一堂があり、芳一の像が奉納されている。
物語の中では、この墓所前で七日七晩平家物語の壇ノ浦の段を弾き語っていた。
境内から壇ノ浦を臨むとこのような景色が広がる。
「玉体を水底に鎮め給ひしも、御霊は天上にお在しまさば、此の神門を『水天門』と申し奉る所以なり」
まさしく壇ノ浦の海底の竜宮城から天に向けた門と言えよう。
水天門から更に海側へ降りて行くと、壇ノ浦。
波打ち際にこのような碇のオブジェが置いてある。
蘊蓄書きによると、『平家物語』によると平知盛は鎧二領を着込み、碇を体にくくりつけて、
乳母子の家長と手を取りあって入水したという。
歌舞伎などでも演じられている。
現在は、海峡の平安を祈って奉納されている。
という、ことで、台風が迫ってくる中、駆け足での観光。
平家終焉の地からスタートしたが、今週末は、広島 厳島神社へ行く。
平家繁栄の地へ時間をさかのぼってみることにしよう。
付録:ここから数キロ西側に巌流島がある。
宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘した島。
島と言っても砂州のような小さな島だ。
下関港から観光用の渡し船に乗って上陸することができる。
大河ドラマ(あまり見ていないが)平清盛ブームで観光客が多くなったようだが、ゆかりの地 壇ノ浦を訪れる。
左の写真は、本州(下関)側から関門海峡越しに見る九州(門司)。
下関といえば、唐戸市場が頭に浮かぶ。
元来、魚市場内で飲み食いしたり、物販をする事は禁じられているそうなのだが、地元活性化のために、下関が地元の安倍晋三が動いて、唐戸市場特区を作ったため盛況し、観光地となったようだ。
壇ノ浦といえば、源平合戦で滅びた平氏終焉の地。
その平家最後の天皇で入水して没した幼い安徳天皇(8歳)を祀っている赤間神宮。
珍しい竜宮造りの「水天門」
最初は阿弥陀寺というお寺だったが、明治の廃仏毀釈で、地名より赤間宮となった。
丁度結婚式が行われており、巫女さんの舞いを見る事が出来た。
神殿の奥で結婚の儀式が行われている。
境内には平家一門の墓がある。
墓の横にある墓銘。
平家一門の墓というと、史実ではないが、琵琶法師「耳なし芳一」が思い浮かぶ。
この墓所の入り口に芳一堂があり、芳一の像が奉納されている。
物語の中では、この墓所前で七日七晩平家物語の壇ノ浦の段を弾き語っていた。
境内から壇ノ浦を臨むとこのような景色が広がる。
「玉体を水底に鎮め給ひしも、御霊は天上にお在しまさば、此の神門を『水天門』と申し奉る所以なり」
まさしく壇ノ浦の海底の竜宮城から天に向けた門と言えよう。
水天門から更に海側へ降りて行くと、壇ノ浦。
波打ち際にこのような碇のオブジェが置いてある。
蘊蓄書きによると、『平家物語』によると平知盛は鎧二領を着込み、碇を体にくくりつけて、
乳母子の家長と手を取りあって入水したという。
歌舞伎などでも演じられている。
現在は、海峡の平安を祈って奉納されている。
という、ことで、台風が迫ってくる中、駆け足での観光。
平家終焉の地からスタートしたが、今週末は、広島 厳島神社へ行く。
平家繁栄の地へ時間をさかのぼってみることにしよう。
付録:ここから数キロ西側に巌流島がある。
宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘した島。
島と言っても砂州のような小さな島だ。
下関港から観光用の渡し船に乗って上陸することができる。
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