WALKMAN [日常]
7月1日になった。
7月1日といえば、S社の WALKMAN の発売日。
発売日は大体 1日か21日が多かったが、ウォークマンは1979年7月1日だった。
奇しくも、この日は私がS社に入社して3ヶ月間の研修が終了して、宣伝制作部に配属された日なのでよく覚えている。
宣伝部では10年ぶりの新人となったらしく、先輩諸兄の好奇の視線を感じながら入室した。
営業部では、このウォークマンは発売する前から、録音機能がついていない再生専用機など売れないと主張されていて、販売計画も弱気の数字。
トップからの指示で、売れるようにしないといけないという宣伝部は悶々としていた。
<ロゴ:出典 ソニー>
お前、一番若いんだからこれをつけて通勤しろと、先輩からウォークマンを渡され、嫌だと拒否することもできず、数ヶ月実行させられた。
当時、ヘッドホンは家の中でステレオに繋いで使うもの。
ヘッドホンをしたまま、街の中を歩くなんて、、、、
ましてや、満員の山手線に乗り込むときなど、乗客の目が一斉に自分に向けられ、目から火が出るほど猛烈に恥ずかしかった。
学生時代、JRの佐賀駅だったか、「遠くへ行きたい」というTV番組のロケ隊とホームで遭遇したことがあった。
当時、主演の永六輔さんが取材用のカセットデンスケ(S社の民生用だったが業務用でも使われていた小さなポータブルカッセットレコーダー)に大きなヘッドホンをかぶって、音楽だろう、調子よく首を振りながらホームを歩いていた。
番組取材用の録音機なのだが、オフの時はああやって外でも音楽を聞いているんだぁ、、、
とカルチャーショックを受けたことがオーバーラップされたものだった。
数ヶ月が経ち、特に大きな宣伝も行わなかったのだが、原宿あたりでヘッドフォンをして踊る若者や、表参道を※ペアヘッドホン(2人で聞くことができ、ホットラインボタンを押すとヘッドホンを通じて会話ができる機能)をして歩くカップルたちが現れ、それがいろんなメディアで紹介されるようになり、外でヘッドフォンをすることがファッショントレンドのような流れになり、ウォークマンという独特の雰囲気のある和製英語がそれに輪をかけてパブリシティ効果を生み出し、それは、大きな社会現象までに成長してしまった。
※注)ペアで聞くのでステレオプラグジャックの穴が2つついており、ファーストロットではそのジャックに GUYS & DOLLS という表示がついていたが、ネイティブの方からご意見があり、その後 A B という無機的な表示に変わった。
我が家には、初期ロットの表示の物が今も2台ある(独身時代の私のものと、妻のもの)
ちなみに、価格は33,000円 初任給が108,000円だったので、当時としては非常に高価な商品だっだが、結局、売れないと言われたウォークマンを給料分割引き落としで自分用に購入してしまった。
出張の時、保安検査でウォークマンをトレイに乗せて出すのだが、係員がそれが何なのか理解できずにえらい時間をかけて検査され直したり、音を出せと言われてもスピーカーがないのでヘッドホンをかけさせてやっと理解してもらっていたことが何度も続いた。(この写真を撮ってけばよかったとつくづく思う)
数ヶ月後、どこの空港に行っても保安検査場で 「ウォークマン 一丁!」と元気な声で言われて通過できるようになった時は本当に嬉しかった。
ヘッドホン文化と言えるかもしれないが、世界の人たちのライフスタイルに大きな変化が起きたことを痛切に感じた年だった。
その後、頭にかぶるヘッドホンから、現在の、耳の中に差し込む小さなイヤホン型に変わっていくのだが、そのイヤホンの形状デザイン時にも私を始め当時の新入社員達の耳型取りで数ヶ月苦行を味わうことになった。
今や、懐かしい思い出となったが、毎年7月1日になると、この頃のことを思い出す。
7月1日といえば、S社の WALKMAN の発売日。
発売日は大体 1日か21日が多かったが、ウォークマンは1979年7月1日だった。
奇しくも、この日は私がS社に入社して3ヶ月間の研修が終了して、宣伝制作部に配属された日なのでよく覚えている。
宣伝部では10年ぶりの新人となったらしく、先輩諸兄の好奇の視線を感じながら入室した。
営業部では、このウォークマンは発売する前から、録音機能がついていない再生専用機など売れないと主張されていて、販売計画も弱気の数字。
トップからの指示で、売れるようにしないといけないという宣伝部は悶々としていた。
<ロゴ:出典 ソニー>
お前、一番若いんだからこれをつけて通勤しろと、先輩からウォークマンを渡され、嫌だと拒否することもできず、数ヶ月実行させられた。
当時、ヘッドホンは家の中でステレオに繋いで使うもの。
ヘッドホンをしたまま、街の中を歩くなんて、、、、
ましてや、満員の山手線に乗り込むときなど、乗客の目が一斉に自分に向けられ、目から火が出るほど猛烈に恥ずかしかった。
学生時代、JRの佐賀駅だったか、「遠くへ行きたい」というTV番組のロケ隊とホームで遭遇したことがあった。
当時、主演の永六輔さんが取材用のカセットデンスケ(S社の民生用だったが業務用でも使われていた小さなポータブルカッセットレコーダー)に大きなヘッドホンをかぶって、音楽だろう、調子よく首を振りながらホームを歩いていた。
番組取材用の録音機なのだが、オフの時はああやって外でも音楽を聞いているんだぁ、、、
とカルチャーショックを受けたことがオーバーラップされたものだった。
数ヶ月が経ち、特に大きな宣伝も行わなかったのだが、原宿あたりでヘッドフォンをして踊る若者や、表参道を※ペアヘッドホン(2人で聞くことができ、ホットラインボタンを押すとヘッドホンを通じて会話ができる機能)をして歩くカップルたちが現れ、それがいろんなメディアで紹介されるようになり、外でヘッドフォンをすることがファッショントレンドのような流れになり、ウォークマンという独特の雰囲気のある和製英語がそれに輪をかけてパブリシティ効果を生み出し、それは、大きな社会現象までに成長してしまった。
※注)ペアで聞くのでステレオプラグジャックの穴が2つついており、ファーストロットではそのジャックに GUYS & DOLLS という表示がついていたが、ネイティブの方からご意見があり、その後 A B という無機的な表示に変わった。
我が家には、初期ロットの表示の物が今も2台ある(独身時代の私のものと、妻のもの)
ちなみに、価格は33,000円 初任給が108,000円だったので、当時としては非常に高価な商品だっだが、結局、売れないと言われたウォークマンを給料分割引き落としで自分用に購入してしまった。
出張の時、保安検査でウォークマンをトレイに乗せて出すのだが、係員がそれが何なのか理解できずにえらい時間をかけて検査され直したり、音を出せと言われてもスピーカーがないのでヘッドホンをかけさせてやっと理解してもらっていたことが何度も続いた。(この写真を撮ってけばよかったとつくづく思う)
数ヶ月後、どこの空港に行っても保安検査場で 「ウォークマン 一丁!」と元気な声で言われて通過できるようになった時は本当に嬉しかった。
ヘッドホン文化と言えるかもしれないが、世界の人たちのライフスタイルに大きな変化が起きたことを痛切に感じた年だった。
その後、頭にかぶるヘッドホンから、現在の、耳の中に差し込む小さなイヤホン型に変わっていくのだが、そのイヤホンの形状デザイン時にも私を始め当時の新入社員達の耳型取りで数ヶ月苦行を味わうことになった。
今や、懐かしい思い出となったが、毎年7月1日になると、この頃のことを思い出す。
コメント 0