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邪馬台国フォーラム at 吉野ヶ里 [日常]

IMG_0105.jpg佐賀県の 吉野ヶ里 (よしのがり)で行われている恒例の邪馬台国フォーラムが開催されるというので馳せ参じた。


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IMG_0104.jpg邪馬台国というとどうしても畿内説と北部九州説との論争を想像しがちだが、今回は瀬戸内の松山平野の文京遺跡の新しい発掘結果の発表が愛媛大学の柴田教授から行われた。
弥生時代の同時期の瀬戸内地域の状況が映画を見ているように鮮やかに分かり出してきたので興味深かった。

島原半島での発掘状況の報告は雲仙市教育委員会の村子さんから行われ、大村湾から有明海、有明海から橘湾のルートが開けていたのではないかということと、朝鮮半島からの陶器も出土しており、放射性炭素年代測定結果なども考慮し、大村湾を通じて小舟で頻繁に朝鮮半島と行き来していたことは確実になった。

吉野ヶ里王権と倭国(女王国王権)について、おなじみの 佐賀女子短期大学の 高島名誉教授 が発表。
「倭国」は国々の政治的連合あるいは同盟体であることと、邪馬台国は「倭国」を構成する国々の一つであるという前提での解説が行われた。
倭国は唐津、糸島、博多湾沿岸から有明海沿岸地域全体に及ぶエリアが想定されている。
その中でも高位身分の特定集団墓が福岡市西区 吉武高木遺跡 に集中しており、今回はここの発掘結果についての解説が行われた。

バラエティ番組ではないので、あくまでも発掘調査の学術的な検証に基づいての発表なので事実が淡々と報告されていた。
その後の先生達のパネルディスカッションでも興味あるやりとりが行われた。

吉野ヶ里 北部墳丘墓周辺で、今年から新規に公開発掘調査が行われていたり、同時開催で「よみがえる邪馬台国」展が開催されていたので帰りに見てみようと思っていたが、フォーラム終了が17時、吉野ヶ里歴史公園の閉園が17時なので、なくなく帰宅。

しかし、有意義な時を過ごすことができた。


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