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フレンドシップ・ゲーム [日常]

パリオリンピックが閉会して9日が経過した。
もうずいぶん前だったようにも感じられるが、結果的に多くの人々が熱狂したようだ。

今回は、侵略戦争中のロシアの参加が認められず、金メダルの顔ぶれも今までとは違う構成になったようだ。

あまり知られていないが、そのロシアが主催するスポーツの世界大会が並行して計画されている。
「フレンドシップ・ゲーム」 と称して、この9月にロシアで開催予定で友好国を中心に30カ国が参加表明していたが、パリオリンピックの後、選手の体調調整などが間に合わないなどの理由で参加国が減少したらしく、9月は中止し、延期することになった。

その後どう推移するのかわからないが、そもそもの原因はロシアが戦争を始めたことだ。
しかし、ロシアの選手には何も責任はなく、スポーツ競技参加は認めるべきだという意見も多く、パリオリンピックは、ロシアオリンピック委員会からという看板ではなく中立個人としてなら参加は認めるということで落ち着き、結果的にロシアから中立個人参加したテニス女子ダブルスのミラ・アンドレエワとディアナ・シナイジェルが唯一のメダルとなり銀メダルを獲得したが、前回東京五輪の71個から激減した。

そもそも、近代オリンピック開催を提唱した クーベルタン男爵 の主旨は、、、



国の垣根を越えて、平等な人間個人としてスポーツを競い合い友好や連携を深めて平和でより良い世界の実現に貢献することを本意としていた(オリンピズム:オリンピックのあるべき姿)。
したがって、商業主義を排して、国歌斉唱や国旗掲揚もなくオリンピック賛歌で個人としてのアマチュアスポーツ選手を称えることだった。
いつの頃からか国旗と国歌が使用されるようになり、国に代わってあるいは国を代表しての対戦ゲームに変貌している。
更に、アマチュアスポーツ選手のみ参加可能として厳格に守られてきた参加ルールだったが、プロの参加もOKとなり、当初のコンセプトから比較するとグズグズの大会になったような気がするが、より多くの人が参加し、より多くの人々が盛り上がるという意味ではそれなりの意味はあったのかもしれない。

特に顕著に変わったのは、競技に勝つとどこからか国旗が出てきて勝者がそれを纏って見せるようになったことだ。
この現象は1984年のロサンゼルスオリンピックから米国の選手が始めたように記憶している。
税金を使わず民間の力(資金)だけで開催するという初めてのケースだったが、それ以来集客、国威発揚して資金を集めるという現在に近いビジネスモデルが確立したように思える。
TVの放映権料やロゴ使用料など一昔前に比べると想像を絶するものがある。

クーベルタンさんが現在のオリンピックを見たらどう思うだろうか?
御破算にして、仕切り直すかもしれない。

4年後は3回目のロサンゼルスオリンピックだ。
新しい大統領のもと、どのようなものになるだろうか?



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