SSブログ

刀伊の入寇 [日常]

刀伊入寇.pngトークショーで聞いた通り「光る君 へ」も佳境を迎えてきた。

12月1日放送は 刀伊の入寇 と言うタイトルだったが、はじめて聞く単語であった方も多いかと思う。
私もその一人。
鎌倉時代の元寇(元が日本を攻めに来た戦い)はそれなりに理解していたが、それより300年あまり前の平安時代の出来事 刀伊の入寇 は何のことなのかわからなかった。

刀伊(とい)とは朝鮮半島北東部の女真族を主体とするエリアを 「とい」 と呼んでいたようで、オリジナルは 東夷 。
これに日本語の音から とうい 刀伊 と当て字を当てたもの。

刀伊は朝鮮半島東岸を荒らし回っていた海賊のような賊集団。
その刀伊が西暦1019年3月から4月にかけて、対馬 壱岐 を襲いさらに 九州まで侵攻してきた。
以前より小さなものも含めると九州沿岸各地では似たような侵攻が複数あったようだ。

「光る君へ」の舞台は太宰府に移り物語が進んでいるが、上の地図に、登場する地名の位置関係を示してみた。




光る君_刀伊入寇_位置関係.jpgこの図は前述の図の赤い囲み部分を拡大したもの。
福岡市とその周辺部になる。

ドラマの展開に合わせて説明してみよう。
太宰府政庁:右下に太宰府政庁跡。 現在は、広い空間に礎石のみが残っている。
(まひろ(紫式部)が、目の治療で太宰府へ赴任を直訴して着任した源隆家のお世話になっていたシーン)
警固所:地図中央部、異国の侵攻から日本を守るために博多湾を監視する見張り場所。
 (現在は、福岡市中央区警固 という町名で天神の南西に隣接している)


IMG_1533.jpg能古島(のこのしま):博多湾に浮かぶ島。博多までやってきた刀伊軍が占拠して一時陣地にした島。


IMG_1532.jpg(福岡市西区に位置し、拙宅から1km程度のすぐ目の前、泳いでも渡れる)
フェリーボートが行き来しており、通勤通学でも多くの人が利用している。



船越:まひろが周明に手を引かれて刀伊の襲撃から逃げていた海岸
(現在は牡蠣小屋で賑わう糸島市の港町、私もよく行く)

と言う具合に福岡市近郊で物語が繰り広げられている。

この約300年後の鎌倉時代、1274年と1281年の2回にわたって、元の大軍が日本に攻め入った、いわゆる 元寇 。
この時は博多湾一円に石垣(防塁)が築かれ、侵攻に備えた。
この元寇についてはほとんどの歴史教科書に記述されているので、記憶に残っている方も多いかと思う。

ドラマのほうは、あと2回で完結するが、紫式部がこのあたりでうろうろしていたと思うと次回の展開が待ち遠しい。




タグ:光の君へ
nice!(7)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 7

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント