- 日常
当時、博多では宋との交易が急激に増え、宋からのビジネスマン(商人)が櫛田神社の近くに大勢居住してチャイナタウンを形成していた。
それまで、中国の文化を学ぼうとしていた遣唐使もこのような状況になったため不要となり、日本は博多を拠点に中国の文物を入手できる時代となったようだ。
宋から渡ってきた禅宗の寺院も博多の街に多く建立され、そこから日本全国へ食文化をはじめとする各種文化、産業が伝搬していったとのことのようだ。
その先鋒が承天寺であり、開祖の聖一国師であるとのこと。
今まで知らなかったことが次々と出てきていい勉強になった。