『庚寅(こういん)』 銘大刀 [日常]
と言われても何のことなのか?と思われる方が大半だと思う。
日本に暦が伝来したのは西暦500年代前半と言われていたが、その暦を使って記録されたものが発見されていなかった。
平成23年に福岡市西区で発掘された大刀の峯(刃の背中)に、何とこの暦が使われて書かれていたことがわかった。
日本最古の正確な年月日が刻まれたものということになる。
分析が終わって解読された後は、国宝に指定される可能性が高い。
当時、そのニュースを見て、東京に住んでいた私は福岡市西区というので急ぎ帰福して現場へ向かったことを思い出す。
この度、
この大刀が修復やX線解析等が終わり、一般公開されることになった。
シャレが効いているのか、その公開日は庚寅の日限定というから面白い。
多分、歴史的価値が高いものなので、長期間の展示は酸化や劣化などで困難なのだろう。
至近の庚寅の日は、 8月26日(日)、10月25日(木)、来年2月22日(金)。
公開場所は、弥生時代 コメ作が日本で最初に始まったとされる田んぼ跡が発見された板付遺跡のすぐそばの 福岡市埋蔵文化財センター。
ここで無料で見れるというので伺った。
国宝に指定されたらどこかの博物館に管理が移ると思われるので、この機会しかないと思った次第。
このように展示されていた。
赤い展示台が実物。黒い展示台が複製。
通常は複製のみが展示されている。
これが実物。
近くに寄って見ると、確かに背中に文字が刻まれている。
この文字は金で書かれているので、錆びていないが、刀は鉄なので錆びている。
大歳庚寅正月六日庚寅日時作刀凡十二果練
と書かれている。
意味は、
めでたい庚寅の年の庚寅の日(=寅が重なる縁起の良い日)に約12回(=たくさんの意味か)(鉄を)練って(=鍛えて)この刀を作りました。
庚寅の年は60年に一回巡ってくるが、日付も庚寅となる年は、古墳時代では西暦570年しかない。
つまり、この大刀は、 西暦570年1月6日に作られたということが正確にわかる。
これが日本で現存する最古の暦の記録ということになる。
約1,500年もの時間が経過しているのだが、暦のおかげで作られた日が特定され、さらに作られた様子までもが、たった19文字で伝えることができている。
感動した。
日本に暦が伝来したのは西暦500年代前半と言われていたが、その暦を使って記録されたものが発見されていなかった。
平成23年に福岡市西区で発掘された大刀の峯(刃の背中)に、何とこの暦が使われて書かれていたことがわかった。
日本最古の正確な年月日が刻まれたものということになる。
分析が終わって解読された後は、国宝に指定される可能性が高い。
当時、そのニュースを見て、東京に住んでいた私は福岡市西区というので急ぎ帰福して現場へ向かったことを思い出す。
この度、
この大刀が修復やX線解析等が終わり、一般公開されることになった。
シャレが効いているのか、その公開日は庚寅の日限定というから面白い。
多分、歴史的価値が高いものなので、長期間の展示は酸化や劣化などで困難なのだろう。
至近の庚寅の日は、 8月26日(日)、10月25日(木)、来年2月22日(金)。
公開場所は、弥生時代 コメ作が日本で最初に始まったとされる田んぼ跡が発見された板付遺跡のすぐそばの 福岡市埋蔵文化財センター。
ここで無料で見れるというので伺った。
国宝に指定されたらどこかの博物館に管理が移ると思われるので、この機会しかないと思った次第。
このように展示されていた。
赤い展示台が実物。黒い展示台が複製。
通常は複製のみが展示されている。
これが実物。
近くに寄って見ると、確かに背中に文字が刻まれている。
この文字は金で書かれているので、錆びていないが、刀は鉄なので錆びている。
大歳庚寅正月六日庚寅日時作刀凡十二果練
と書かれている。
意味は、
めでたい庚寅の年の庚寅の日(=寅が重なる縁起の良い日)に約12回(=たくさんの意味か)(鉄を)練って(=鍛えて)この刀を作りました。
庚寅の年は60年に一回巡ってくるが、日付も庚寅となる年は、古墳時代では西暦570年しかない。
つまり、この大刀は、 西暦570年1月6日に作られたということが正確にわかる。
これが日本で現存する最古の暦の記録ということになる。
約1,500年もの時間が経過しているのだが、暦のおかげで作られた日が特定され、さらに作られた様子までもが、たった19文字で伝えることができている。
感動した。
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