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伽耶(かや) 特別展 [日常]

IMG_0439.jpgコロナ禍以来3年ほどになるだろうか、伽耶展が開催されているというので久しぶりに 九州国立博物館 へ向かった。


696688010.929911.jpg伽耶と言ってもどこの国だ?と思われる方も多いかと思われるが、5世紀前後の朝鮮半島に存在した国の一つだ。
同時期では、他に 百済、高句麗、新羅などと並べるとわかりやすいかもしれない。


IMG_0440.jpg発掘されたこの時代のものから、当時の技術や人の往来特に倭国(日本)との関係がどうであったかを検証するもの。
今までは、あらゆるものが大陸から朝鮮半島を通じて渡来人により伝えられたという表現が多かったが、今回は、それらに加えて、日本から技術や人が朝鮮半島へ渡ったことも、あらゆる研究結果から解説されており新しい視点での展示内容になっている。


IMG_0443.jpg日本は弥生時代。
当時の米作り農耕器具、さらには鉄を使った甲冑、甲、鎧なども数多く発見されており、日本側、韓国側でほとんど同じようなものだ。
当時、日本にいなかった馬が半島から船に乗せられ輸入されてくる様子の壁画や馬具、埴輪なども展示されていた。


IMG_0442.jpgいろんな金属加工品があるが、高貴な王族は冠やイヤリング、装飾品などは金、農具や武器は鉄製が多かったが、製鉄や鉄の加工技術は日本側も非常に優れていたようで、その技術は半島から中国方面へ伝搬しているものが多い。
物だけでは技術を伝えることはできないため、同時に人も頻繁に往来している。


IMG_0441.jpgこれは半島からの渡来人の服装が細かくわかる埴輪。
人の往来が多くなるとそれぞれ相手先に定住するものや婚姻して家庭を持つものも当然多くなり、この頃から生物学的にもDNAが混じり合っている。

今まで、技術や革新は一方的に半島から伝わってきたと言われてきて、渡来人と技術という視点でしか発表、展示されてこなかったが、今回初めて双方からの交流による点にスポットを当てた展示、発表は初めてのことらしい。

そこで、私がふと思ったのが稲作。
日本では弥生時代に稲作が半島から伝わってきたと教えられてきたが、まてよ、もともと稲はベトナムなど東南アジアエリア、南方の植物。
それが北の朝鮮半島から伝わるのには違和感を感じていた。
教科書にも掲載されており日本の稲作の原点となったここ福岡市の板付遺跡の田んぼは現在も保存されているが、数年前、その地層の更に下や付近の縄文時代の地層で、稲作の田んぼが発見された。
ということは、弥生時代に半島から伝わったと言われている稲作だが、それよりはるか前、縄文時代から、ここ福岡では稲作が行われていたということになり、稲作は日本から朝鮮半島に伝わったと考える方が自然な気がしてくる。

このように、一方的な流れではなく、人や技術の頻繁な往来により、文物が発展したということが言えるのだろう。




タグ:技術革新
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