若戸大橋 [日常]
先日、久しぶりの鹿児島本線の列車の旅の途中、車窓から 「若戸大橋」が見えた。
本当に久しぶりだった。
この吊り橋ができたのが 1962年 なのでもう61年経過したことになる。
洞海湾を挟んで、当時の若松市と戸畑市を結ぶ吊り橋で、当時では 東洋一の吊り橋 と称された。
私の母は当時の婦人会としてこの橋の開通式で歩道(歩道がついていた)を歩いて渡った。
その時のお土産で若戸大橋の置物をもらい人形ケースの中に飾って眺めていた。
若戸というネーミングは、なんとなく明るい未来を想起させるようで少年の心はわくわくしたものだ。
現在は、新築時の費用の償還期間も終了し、無料で通行できるようだ。
当時から変わらぬ美しい朱色の吊り橋は、国の重要文化財に指定されている。
この橋建設が企画される前までは海底トンネルの建設が議会で承認されていたが、相次ぐ大戦の影響でトンネル建設は中止され、戦後、橋の建設に変更された。
しかし、結果論だが、トンネルよりも橋の方が良かったような気がする。
その後も交通量は増加の一途で、結局2012年に若戸トンネル(新若戸道路)が開通し、現在に至っている。
子供の頃、置き物の若戸大橋を見ていた時から61年。
やはり本物を見ると説得力が違う。
(車窓からの撮影のため少々残念。もっと綺麗なアングルで撮りたかった。)
本当に久しぶりだった。
この吊り橋ができたのが 1962年 なのでもう61年経過したことになる。
洞海湾を挟んで、当時の若松市と戸畑市を結ぶ吊り橋で、当時では 東洋一の吊り橋 と称された。
私の母は当時の婦人会としてこの橋の開通式で歩道(歩道がついていた)を歩いて渡った。
その時のお土産で若戸大橋の置物をもらい人形ケースの中に飾って眺めていた。
若戸というネーミングは、なんとなく明るい未来を想起させるようで少年の心はわくわくしたものだ。
現在は、新築時の費用の償還期間も終了し、無料で通行できるようだ。
当時から変わらぬ美しい朱色の吊り橋は、国の重要文化財に指定されている。
この橋建設が企画される前までは海底トンネルの建設が議会で承認されていたが、相次ぐ大戦の影響でトンネル建設は中止され、戦後、橋の建設に変更された。
しかし、結果論だが、トンネルよりも橋の方が良かったような気がする。
その後も交通量は増加の一途で、結局2012年に若戸トンネル(新若戸道路)が開通し、現在に至っている。
子供の頃、置き物の若戸大橋を見ていた時から61年。
やはり本物を見ると説得力が違う。
(車窓からの撮影のため少々残念。もっと綺麗なアングルで撮りたかった。)
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