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モノレール [日常]

先週、上京した際に、久しぶりに羽田からモノレールに乗った。
もう30年ぶりくらいだろうか?
本当に久しぶりだった。

快速なんてものがあって、普通より5分くらい早く浜松町へ着くというので、快速に乗った。
昔はそんなものはなく、全便各駅停車だったが、快速と言うとどこかで前の普通便を追い抜くことになるのだが、どこで抜いたかわからなかった。

モノレールと言うとその名の通りレールが1本というイメージが有るが、どこかで2本に分かれている部分があるに違いない。



東京モノレールは、1964年 東京オリンピック開催時に開通したので、今年で50年になる。
開通した当時は、東京湾の海の中に橋脚が建ってその上を走っていたが、現在は海はずっと遠くまでいってしまい、浜松町に近づくとほとんどビルの谷間をクネクネと通り抜ける感じになってしまった。

私は、今まで京急線を利用して、大田区の町工場地帯や下町を通って品川へ向かっていたが、モノレールからだとその景色は大きく異なり、まさしく高層ビルの大都会にきたという感じになったのは新鮮な感触だ。

初めての街に行く時、最初の光景がインプリントされて、その人のその街の対する先入観を大きく左右する。

かつては、東京より北の地域からの入り口は上野駅だった。
ここを入り口とした方々の東京の印象は上野や浅草、神田方面の雰囲気をオーバーラップしていることだろう。

私の場合は、東京の入り口は浜松町だった。
東京へ移住後数年間は、浜松町を通るたびに、妙な望郷の念が湧いてくるものだった。
その時の雰囲気と現在の浜松町も大きく異なっているので、最近の方々が持つイメージも大きく異なっているに違いない。

人間とは面白いものだ。

視点を少々高くして、各国各地の例にシフトするとこれも面白い。

日本の入り口(かつての多くは)は成田なので、外国からの訪問者、特に初めての来日者は成田の光景がインプリントされる。
私が毎月出入国を繰り返していた頃、隣に座っていた外国のご婦人が着陸間近の機外の成田の景色を見て、
「Oh, Beautiful green!」と声を出した。
何かと思って外を見てみると、なんてことはない、稲穂が出てきたばかりの田んぼが広がっているだけだった。
しかし、そのご婦人には田んぼと言う概念が無いため、緑の芝生の草原に見えたに違いない。

幸か不幸か、東京は緑の草原や山々が美しい地域としてインプリントされたことだろう。

そんな記憶を辿っていくと、ロサンゼルス、ニューヨーク、メキシコシティー、シドニー、パース、ロンドン、パリ、ベルリン、アムステルダム、北京、上海、シンガポール、カイロ、ミラノ、ストックホルム、アンカレッジ、、、などなど各地の第一印象が鮮やかに蘇ってくる。

東京のように大きく様変わりしている街や、まったく変わっていない街もあるだろう。

6年後の 2020年 次回東京オリンピックの年、東京や福岡はどんな第一印象を人々に与えるのだろうか?



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