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六所宝塔 [日常]

先日、所用で大宰府を訪問した時に、ついでに周辺の旧跡にも足を延ばしてみた。

IMG_0493.JPG大宰府政庁跡
平城京、平安京に次ぐ、外国との交渉の窓口となる役所(大宰府)の跡
7世紀後半、大和朝廷は那の津(博多港)の官家(みやけ)をここに移し、奈良・平安時代を通して、九州を治め、我が国の西の守り(防衛)、外国との交渉の窓口となる役所(大宰府)とした。その規模は平城京、平安京に次ぐ大きなものであり、南北22条、東西24坊の都市計画があったという学説がある。万葉集には"遠の朝廷(みかど)"と詠まれ、その規模をしのばせる立派な礎石が残 り、そこを中心に門や回廊、周辺の役所跡等が整備されて、現在は公園となっている。(大宰府観光協会)




IMG_0495.JPG縁結びの神様として人気の 竈門(かまど)神社。
年間を通して移り変わる景色が美しい。



IMG_0504.JPG天台宗開祖の最澄が、国家安泰、仏法興隆、国民安楽を祈念するための拠点にと、日本全国の六カ所に塔の建立を企画されたのが「六所宝塔」。

安総宝塔 近江国 比叡山
安中宝塔 山城国 比叡山
安東宝塔 上野国 緑野寺(浄法寺)
安西宝塔 筑前国 竈門山
安南宝塔 豊前国 弥勒寺(宇佐神宮)
安北宝塔 下野国 下野・大慈寺(のち日光山)


IMG_0505.JPG比叡山の総塔を中心に当時の日本国を取り囲むように中東西南北の宝塔が各地に作られた。
(西暦800年代だと思われる)


IMG_0498.JPGここは西の安西宝塔跡。
現在は、その基礎のみが残っていて、横にこの碑が建てられている。
その基礎の大きさから、上の写真のような宝塔がたっていたと考えられている。

竈門神社横の宝満山の登山コースに隣接しているが、このエリアは比叡山延暦寺の私有地。
いまでも、定期的に延暦寺の僧侶が六所をまわってきて法要を行っている。



IMG_0499.JPGこの場所から、最澄が唐へ旅立ちまた帰国した博多湾と信仰の山 宝満山 が同時に望める。
旅立つ前は航海の安全をここから祈念した。



IMG_0501.JPG宝満山頂上がきれいに見える。

最澄 も同じ風景を見ていたに違いない。

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