ネバーエンディングストーリー [日常]
12月中旬並みの寒さになるので冬の装いでお出かけください。
とテレビの中のお天気おねえさんが言いだした。
何を基準にと思いたくなるが、そうしなくてはいけないのでは、、という一種脅迫概念も一方にあり、寒いと感じなかったが、昨日は今年初めてコートを着て出勤した。
しかし、外に出て駅までの道すがら、ご近所さんの冬の装い(コート等)の様子を観察すると、そういう装いの女性は95%、男性は5%。
ここで男女比率が全く相反している。
女性のほうが寒さを感じやすいのだろう。
やっぱりねえ、、と、お姉さんにそそのかされてコートを着ている自分を恥ずかしく思った。
しかし、品川駅についてまわりを見ると、これまたどうだろう。
女性98%、男性80%位が冬の装いだ。
千葉、埼玉、栃木、茨城など中距離、遠距離方面から都内へ出勤してくるからだろう。
あとでテレビを見ると、そのあたりは雪が降ったり、氷点下になったりしているとのことで、同じ関東でもこうも環境が違うのかと痛感した。
しかし、都内は寒くないので、お姉さんには悪いが、しばらくは秋の装いに戻すことにする。
コートの話になると毎年思い出すことがある。
もうずいぶん前になるが、長い間のドイツ生活から帰国した子安文さんとしばらくお仕事でお付き合いがあったころ(確か彼女が私のところに自分の楽曲のデモテープを持ってきたあたりか、、)、お母様の子安美知子さんから、ご丁寧なお手紙をいただいた。
子安親子とはそれ以来のお付き合いなのだが、美知子さんはドイツが長かったこともあり、ミヒャエル・エンデさんに関する本を書いたり、エンデさんが来日されるときはマネージャーみたいな事もやられていた。
エンデさんの作品『モモ』あたりから、その時間に対する視点や、物事の事象を見る視点などは、私が子供のころから思っていたこととまったく同じで、非常に共感する事が多く、『はてしない物語(ネバーエンディングストーリー)』などが発表されるや、私はエンデワールドの虜になっていた。
エンデさんは、自分の作品の映画化に関してはかなり渋られたそうだが、私から見る限り、そこそこいい感じに表現されている気がする。しかし、原作者から見るとまだまだ不十分なところがあったのかもしれない。
1989年、美知子さんから手紙が来て、エンデさんが『エンデ父子展』を日本で開催し来日するので、そのパーティーに招待された。
これは、ありがたき幸せと、当日家を出たが、何かいつもと違ってスースーする。
コートは着ているものの、その下のスーツがない。
ええっ?
フォーマルなパーティーなのに上着がない、、、なんて、、信じられない。
いつもの癖で毎日帰宅後コートと通勤用のジャケットを同時に脱いでクローゼットに収納するのが裏目に出て、当日、よそいきのスラックスをはいたあと、「コートと通勤用のジャケットを引き剥がして、、、」と心で思い続けていたばかりに、そのまま、スーツを着ずにクローゼットのジャケットとコートが一緒になったハンガーからコートだけをはがして上着を着ず、コートだけを着てしまって、そのまま颯爽と出勤したようだ。
夕方になって上着が無いのに気付いたが後の祭り。
子安美知子さんには、急用ができて出席できなくなったと連絡したが、その時のなんと情けなかったことか。
パーティーは和やかに催された、とあとで報告を受けた。
この年、エンデさんは『果てしない物語』を翻訳した佐藤真理子さんと結婚した。
エンデさんは日本文化にかなり影響を受け、かなりの日本通。
その6年後1995年65歳の若さでミュンヘンで亡くなった。
私のおっちょこちょいで、自分自身が痛い目にあったこの出来事は一生悔いが残る。
毎年初コートを着るたびに思い出すネバーエンディングストーリーだ。
とテレビの中のお天気おねえさんが言いだした。
何を基準にと思いたくなるが、そうしなくてはいけないのでは、、という一種脅迫概念も一方にあり、寒いと感じなかったが、昨日は今年初めてコートを着て出勤した。
しかし、外に出て駅までの道すがら、ご近所さんの冬の装い(コート等)の様子を観察すると、そういう装いの女性は95%、男性は5%。
ここで男女比率が全く相反している。
女性のほうが寒さを感じやすいのだろう。
やっぱりねえ、、と、お姉さんにそそのかされてコートを着ている自分を恥ずかしく思った。
しかし、品川駅についてまわりを見ると、これまたどうだろう。
女性98%、男性80%位が冬の装いだ。
千葉、埼玉、栃木、茨城など中距離、遠距離方面から都内へ出勤してくるからだろう。
あとでテレビを見ると、そのあたりは雪が降ったり、氷点下になったりしているとのことで、同じ関東でもこうも環境が違うのかと痛感した。
しかし、都内は寒くないので、お姉さんには悪いが、しばらくは秋の装いに戻すことにする。
コートの話になると毎年思い出すことがある。
もうずいぶん前になるが、長い間のドイツ生活から帰国した子安文さんとしばらくお仕事でお付き合いがあったころ(確か彼女が私のところに自分の楽曲のデモテープを持ってきたあたりか、、)、お母様の子安美知子さんから、ご丁寧なお手紙をいただいた。
子安親子とはそれ以来のお付き合いなのだが、美知子さんはドイツが長かったこともあり、ミヒャエル・エンデさんに関する本を書いたり、エンデさんが来日されるときはマネージャーみたいな事もやられていた。
エンデさんの作品『モモ』あたりから、その時間に対する視点や、物事の事象を見る視点などは、私が子供のころから思っていたこととまったく同じで、非常に共感する事が多く、『はてしない物語(ネバーエンディングストーリー)』などが発表されるや、私はエンデワールドの虜になっていた。
エンデさんは、自分の作品の映画化に関してはかなり渋られたそうだが、私から見る限り、そこそこいい感じに表現されている気がする。しかし、原作者から見るとまだまだ不十分なところがあったのかもしれない。
1989年、美知子さんから手紙が来て、エンデさんが『エンデ父子展』を日本で開催し来日するので、そのパーティーに招待された。
これは、ありがたき幸せと、当日家を出たが、何かいつもと違ってスースーする。
コートは着ているものの、その下のスーツがない。
ええっ?
フォーマルなパーティーなのに上着がない、、、なんて、、信じられない。
いつもの癖で毎日帰宅後コートと通勤用のジャケットを同時に脱いでクローゼットに収納するのが裏目に出て、当日、よそいきのスラックスをはいたあと、「コートと通勤用のジャケットを引き剥がして、、、」と心で思い続けていたばかりに、そのまま、スーツを着ずにクローゼットのジャケットとコートが一緒になったハンガーからコートだけをはがして上着を着ず、コートだけを着てしまって、そのまま颯爽と出勤したようだ。
夕方になって上着が無いのに気付いたが後の祭り。
子安美知子さんには、急用ができて出席できなくなったと連絡したが、その時のなんと情けなかったことか。
パーティーは和やかに催された、とあとで報告を受けた。
この年、エンデさんは『果てしない物語』を翻訳した佐藤真理子さんと結婚した。
エンデさんは日本文化にかなり影響を受け、かなりの日本通。
その6年後1995年65歳の若さでミュンヘンで亡くなった。
私のおっちょこちょいで、自分自身が痛い目にあったこの出来事は一生悔いが残る。
毎年初コートを着るたびに思い出すネバーエンディングストーリーだ。
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