聖一国師 顕彰会 in 福岡フォーラム [日常]
博多の承天寺は、今年で創建777年になる。
この開祖である 聖一国師 が静岡出身ということで、静岡市商工会議所が博多の総鎮守 櫛田神社でセミナーを開催した。
このような機会は滅多にないと思い、参加させていただいた。
聖一国師の生い立ちから晩年までどのようなことをしてきたか等を九州大学の社会文化研究院 伊藤幸司 准教授をはじめ関係各位からの講演があった。
<写真は、櫛田神社表参道鳥居前、承天寺のお隣ににある東長寺の五重の塔。>
承天寺の現在の住職 神保 至雲氏からもお話があり、現在も脈々と生き続けている聖一国師の意志を感じさせていただいた。
当時、博多では宋との交易が急激に増え、宋からのビジネスマン(商人)が櫛田神社の近くに大勢居住してチャイナタウンを形成していた。
それまで、中国の文化を学ぼうとしていた遣唐使もこのような状況になったため不要となり、日本は博多を拠点に中国の文物を入手できる時代となったようだ。
宋から渡ってきた禅宗の寺院も博多の街に多く建立され、そこから日本全国へ食文化をはじめとする各種文化、産業が伝搬していったとのことのようだ。
その先鋒が承天寺であり、開祖の聖一国師であるとのこと。
今まで知らなかったことが次々と出てきていい勉強になった。
この開祖である 聖一国師 が静岡出身ということで、静岡市商工会議所が博多の総鎮守 櫛田神社でセミナーを開催した。
このような機会は滅多にないと思い、参加させていただいた。
聖一国師の生い立ちから晩年までどのようなことをしてきたか等を九州大学の社会文化研究院 伊藤幸司 准教授をはじめ関係各位からの講演があった。
<写真は、櫛田神社表参道鳥居前、承天寺のお隣ににある東長寺の五重の塔。>
承天寺の現在の住職 神保 至雲氏からもお話があり、現在も脈々と生き続けている聖一国師の意志を感じさせていただいた。
当時、博多では宋との交易が急激に増え、宋からのビジネスマン(商人)が櫛田神社の近くに大勢居住してチャイナタウンを形成していた。
それまで、中国の文化を学ぼうとしていた遣唐使もこのような状況になったため不要となり、日本は博多を拠点に中国の文物を入手できる時代となったようだ。
宋から渡ってきた禅宗の寺院も博多の街に多く建立され、そこから日本全国へ食文化をはじめとする各種文化、産業が伝搬していったとのことのようだ。
その先鋒が承天寺であり、開祖の聖一国師であるとのこと。
今まで知らなかったことが次々と出てきていい勉強になった。
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