待宵草 [日常]
「宵待草」原詩
遣る瀬ない釣り鐘草の夕の歌が あれあれ風に吹かれて来る
待てど暮らせど来ぬ人を
宵待草の心もとなき
想ふまいとは思へども 我としもなきため涙 今宵は月も出ぬさうな
と竹久夢二の例の詩だが
ここでいう 「宵待草」 とは 月見草を指しているようで、私も最近までずっとそう思っていた。
しかし、しかし、違っていた。
月見草の別名は 「待宵草」なのだそうだ。
いろいろ調べてみると、「待宵草」より 「宵待草」 の方が音の感じがいいのでそうした、と後日夢二氏が語っている。
実に自由だ。
私は、明治と昭和の間の大正は、それまでの封建制から解放され本来の日本人の持っているDNAが解放された近世のルネッサンスだと思っている。
まさしく 大正浪漫。
井上陽水の「少年時代」の歌詞の中で 風アザミ という単語が出てくるが、あれは何ですか?とあるインタビュー番組での質問があったが、 あんな言葉はありません。
僕が作ったいい加減な言葉です。
でもなんとなく雰囲気は伝わるでしょっ、、とのこと。
先ほどの 「宵待草」に「風アザミ」、、似たようなノリの感覚での産物である。
自由でいいと思う。
夢二さんが出てきたところで、こんな詩もあったので備忘録として、、、
<かへらぬひと>
花をたづねてゆきしまま
かへらぬひとのこひしさに
岡にのぼりて名なをよべど
幾山河(いくやまかわ)は白雲の
かなしや山彦(こだま)かへりきぬ
時代は変わっても人の心は不変だなぁ、、、。
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