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参勤交代 [日常]

このところCATVのチャンネルが次々とハイビジョン化されてきた。
私にとっては非常にうれしい時代となった。

時代劇チャンネルも私が幼稚園や小学生の時見ていたものがハイビジョン化され放送されている。

まあ、昔の映像が高画質になるわけではないが、オリジナルフィルムの画質に忠実にリビングルームの大画面TVで見ることができるようになったのはうれしい。
更に、送出側ではアナログメディアから高解像度のデジタルメディアへ変換されたため、アーカイブとしての意義は更に大きくなると思われる。

そんなわけで、昔の時代劇を見る機会が多くなった。



三度笠もの、捕り物帳もの、水戸黄門もの、いずれも面白い。

昨日FMを聞いているとたまたま、江戸時代の参勤交代についての話をしていたので、忘れないように記録しておく。

ご存知のように江戸時代は諸国の大名は定期的に江戸へ上って一定期間滞在し、将軍にご挨拶をするというルールがあった。

これは、大名が私財を蓄え謀反を働かないようにするため、定期的に散財させるとともに、将軍が直接忠義を確認する意味もあったのだろう。

各地から江戸までの道中、大名行列となるのだが、その時多くの人が知っているように、前払いの担当が「下にい~下に」と言いながら、沿道の庶民に行列が通り過ぎるまで、頭を低くさせて道に伏せさせていた。
因みにこの掛け声をかける人はアルバイトでその宿場町の出口になると、お役御免。
日当をもらってさっさといなくなったらしい。
その後の行列は、列もばらばらで急ぎ江戸を目指したらしい。
つまり、先日のメダリストパレードではないが、宿場町内のみのパレードだったようだ。

実はこの「下にい~下に」と言うことができるのは徳川御三家つまり
尾張徳川家(尾張家、尾張藩)
紀州徳川家(紀州家、紀州藩)
水戸徳川家(水戸家、水戸藩)
の3つの大名だけが許されていた。
庶民はこの掛け声で大名の格を認識して行動した。
特に江戸の庶民はプライドが高く、御三家以外の行列には頭も下げなかったそうだ。

ではそれ以外の行列はどのようだったのかというと、掛け声をかけるのは同じだが、内容が異なっていた。
「片寄れ~、片寄れ~」や「よけろ~、よけろ~」など、道を開けろという内容だったようだ。
だから、ほとんどの大名行列はこっちのタイプだったはずだ。

庶民は、行列の進行を邪魔しないように道の脇によけたそうだ。
 また、いずれの行列も、その前を横切ることは禁じられており、横切ってしまうと 手打ち(無礼討ち) つまり切り殺されていた。
幕末の横浜の生麦事件も、英国人が馬に乗ったまま行列の前を横切り、このルールが摘要されたため発生した事件だ。

ただ、唯一横切っていい人がいた。
それは、産婆さん。
一刻も争う緊急事態に長い行列を待っているわけにはいかない。
これからの時代で貴重な労働力基盤となる子供の出生は最優先させた。
なんとも、このコンセプトは人間的だ。
テレビドラマ「仁」で綾瀬はるか扮する橘咲が、南方仁のもとへ急ぎ向かっている時、大名行列に出くわし、その時に、産婆ですと言って走り抜けた場面も記憶に新しい。

江戸時代の安定期はこの慣習が長く続いたが、やはり、江戸から遠い大名たちの財政的負担は大きく、不平不満も募ってきた。
鹿児島(薩摩)や山口(長州)、高知(土佐)など江戸から見たら辺境の地から倒幕の動きが発生したのも理解できる。

大名行列の話からいろいろ広がりそうだが、今回はこの辺でとどめておこう。


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Mie

時代劇、年々減って来たと思ったら、唯一生き残っていた水戸黄門も無くなり、そのうち昔日本は丁髷を結んでいた事など知る人がいなくなるかもしれませんね。(^^;)
by Mie (2012-08-28 17:50) 

kan

そうですねえ
江戸時代がどんどん遠ざかっていますね。
これも時代の流れでしょうか。

by kan (2012-08-28 22:25) 

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