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歴史の街 鞆の浦(とものうら)の旅 [日常]

DSC01459.jpg広島へ行ったついでに、ちょっと足を延ばして、以前より行きたかった 鞆の浦を訪問した。

鞆の浦といえば、瀬戸内地方の港町だが、昔よりここは内外の船が発着する良好な港町だった。
室町時代から始まった 朝鮮通信使 も江戸時代まで朝鮮と江戸との行き来の途中、迎賓館として位置づけられていた鞆の浦の福善寺に立ち寄ってしばらく投宿していた。
朝鮮から江戸までの行程の様子は韓国ソウルの国立博物館に絵巻物として展示されていたものを見たことがある。

丁度、この日、ランドマークになっている港の常夜灯の前で、 「現代の朝鮮通信使」 と銘打って、韓国から来られた方々が当時の衣装を身につけてイベントが行われていた。

DSC01461.JPGまた、江戸時代末期、幕末、この沖で坂本龍馬の海援隊の雇船 いろは丸 と紀州の藩船 明光丸 が衝突。
双方蒸気船であったが、いろは丸が沈没。
通常考えられないが、いろは丸側は紀州藩と何度も交渉、難航したために長崎で土佐藩と紀州藩の談判に発展。
龍馬は国際航法に基づき判断しようなどお互いの航海日誌を突き合わせるなどして近代的な判断手法で臨んだ。
その結果、紀州藩から7万両(当初8万両だったが、値切られた)の賠償金を獲得した。

その舞台となったのが、海援隊や龍馬が沈没した海から上陸したここ鞆の浦。
現在、常夜灯横の当時から存在している蔵を再利用していろは丸記念館としていろんな資料や物品が公開されている。
最近進んでいる沈没したいろは丸の海底調査の実物大模型や積載していた物なども展示されていて興味深い。



DSC01463.JPGこれは、いろは丸の模型



DSC01445.jpgこれは当時龍馬や海援隊メンバーが隠れていた家。
現在もそのまま残っている。


DSC01452.JPG町並みは幕末のまま。
古い酒屋さんや商家が立ち並んで、まるでタイムスリップしたような錯覚に陥る。


DSC01448.JPG石原裕次郎や渡哲也が出てきそうな、メインストリート。


DSC01457.jpgむかしからの道はこのように狭い。


DSC01465.jpgメインストリートも狭いため、車での離合もぎりぎり。
そのため、この港の海上にバイパスをつくって車を通そうとした計画があったが、景観を破壊するとして中止となった。
これを機に全国で景観訴訟が起こり出したのはご存知の通り。



DSC01466.jpg因みにこのメインストリートに海彦という食堂があり、入り口に金魚鉢が置いてある。
宮崎駿さんが作品の企画構想のためにこの町に滞在している時、この食堂によく訪れていたらしいが、
その金魚が記憶の中にあり、「崖の上のポニョ」の発想につながったらしい。
そういわれると、あの作品の中に出てくる風景は、この界隈や島々に通じるところがあるので、多分ここがモデルになったのだろう。



玄界灘を見て育った私は、この瀬戸内の海を見るにつけ、池のように思えてならない。
こんな海があったんだあ、、と、新たな感慨に耽ってしまう。
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