林田スマ さん [日常]
と言えば、1970年代北部九州にいた方ならほとんどが知っていると思われる。
当時の深夜放送の形を作り、地元の音楽文化に大きな貢献をしたRKBラジオ番組「スマッシュイレブン」のアシスタント。
メインDJ井上悟さんとの名コンビで当時の青少年のマドンナだった。
ゲストアーティストが来るイベントでも観客はサインを求めてスマさんの方へ集まるという大変な人気だった。
先日、西日本新聞を見ていた時、文化欄に 「おかげさまで」 というコーナーができて、なんとあの林田スマさんが、、、連載しているではないか。
これは懐かしいと、毎日楽しみに拝読させていただいている。
福岡女学院短大を卒業後、RKBに入社した新人アナウンサーだったが、スマッシュイレブンの2代目アシスタントとして深夜に登場、圧倒的なファン層を形成してしまった。
本人によると、毎日緊張の連続で、自分はアナウンサーを続けることができないと、結婚の道を選び、結婚退職してしまった。
たった4年間のアナウンサー人生だったようだ。
私は毎日23時になるとこの番組を楽しみに聞いており、リクエスト葉書も何回か読まれた記憶がある。(ラジオネーム:赤いダックスの男)
今回の新聞コラムで、当時のリクエスト葉書や手紙を現在も個人で保管して持っているとのこと、機会があったら私の葉書を探させて頂きたい。
その時のRKBの企画で、スタッフや出演者が演奏したり歌を歌ったレコードが作られた。
その名も 「風のふくおか」
この中でスマさんも歌われているが、下手くそだった?ため16回も録り直ししたそうだが、発表後はスマさんの歌が一番人気となった。
風の福岡 >> 風の吹く丘 >> 風のふくおか となったかやに聞いている。
まさしく福岡の地は、大陸からの風が吹く土地で、丘に登ると海からの清々しい風にあたることができる。
冬は強い季節風が吹くこともあり、風と福岡は切っても切れない関係にある。
私のこのブログのタイトルも1,000Km離れた東京の地から遠く故郷を想う気持ちをベースに2006年9月にスタートしたもの。
福岡市内に同名の店があるが、根っこは同じようだ。
武田鉄矢さんがナポリタンスパゲティをよく食べにいくようだ。
スマさんは、専業主婦になったあとしばらくして九州大学大学院修士課程を取得され、地域の文化活動等で活躍されている。
最近は再びフリーアナウンサーとしてもTVやラジオで活躍され、半世紀以上たったが、再びメディアを通じて拝見できるようになった。
私にとっては、なんとも予想だにしなかった展開である。
ということで明日のコラム記事が待ち遠しい今日この頃、、。
<写真:西日本新聞から>
当時の深夜放送の形を作り、地元の音楽文化に大きな貢献をしたRKBラジオ番組「スマッシュイレブン」のアシスタント。
メインDJ井上悟さんとの名コンビで当時の青少年のマドンナだった。
ゲストアーティストが来るイベントでも観客はサインを求めてスマさんの方へ集まるという大変な人気だった。
先日、西日本新聞を見ていた時、文化欄に 「おかげさまで」 というコーナーができて、なんとあの林田スマさんが、、、連載しているではないか。
これは懐かしいと、毎日楽しみに拝読させていただいている。
福岡女学院短大を卒業後、RKBに入社した新人アナウンサーだったが、スマッシュイレブンの2代目アシスタントとして深夜に登場、圧倒的なファン層を形成してしまった。
本人によると、毎日緊張の連続で、自分はアナウンサーを続けることができないと、結婚の道を選び、結婚退職してしまった。
たった4年間のアナウンサー人生だったようだ。
私は毎日23時になるとこの番組を楽しみに聞いており、リクエスト葉書も何回か読まれた記憶がある。(ラジオネーム:赤いダックスの男)
今回の新聞コラムで、当時のリクエスト葉書や手紙を現在も個人で保管して持っているとのこと、機会があったら私の葉書を探させて頂きたい。
その時のRKBの企画で、スタッフや出演者が演奏したり歌を歌ったレコードが作られた。
その名も 「風のふくおか」
この中でスマさんも歌われているが、下手くそだった?ため16回も録り直ししたそうだが、発表後はスマさんの歌が一番人気となった。
風の福岡 >> 風の吹く丘 >> 風のふくおか となったかやに聞いている。
まさしく福岡の地は、大陸からの風が吹く土地で、丘に登ると海からの清々しい風にあたることができる。
冬は強い季節風が吹くこともあり、風と福岡は切っても切れない関係にある。
私のこのブログのタイトルも1,000Km離れた東京の地から遠く故郷を想う気持ちをベースに2006年9月にスタートしたもの。
福岡市内に同名の店があるが、根っこは同じようだ。
武田鉄矢さんがナポリタンスパゲティをよく食べにいくようだ。
スマさんは、専業主婦になったあとしばらくして九州大学大学院修士課程を取得され、地域の文化活動等で活躍されている。
最近は再びフリーアナウンサーとしてもTVやラジオで活躍され、半世紀以上たったが、再びメディアを通じて拝見できるようになった。
私にとっては、なんとも予想だにしなかった展開である。
ということで明日のコラム記事が待ち遠しい今日この頃、、。
<写真:西日本新聞から>
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