可也山 (かやさん) [日常]
糸島半島に独立してそびえる といっても365m(覚えやすい)しかない、こじんまりとした山。
その形から糸島富士などとも呼ばれている。
万葉の昔からいくつもの歌が詠まれており、その美しい形が古代より変わっていないことがわかる。
我が無線小屋の窓からも見えていた山なのでいつかは登らなくてはと思っていたが、いつかと思っていては死ぬまで登れないと思い、意を決して登ることにした。
登山道は三つ。
今回は楽そうな遊歩道と書かれていた東側から登ることにした。
思ったよりきつい。
なめたらあかんぞ、、と山に言われながら登った気がする。
途中、黒田長政が(1618年)に日光東照宮の大鳥居を献上した石切り場跡等が至る所にあったが、あまりの大きさに、どのようにして運んだのか驚いてしまう。
ここが山頂だが、何も見えない。
展望台まで移動。
西側は唐津、呼子方面がハッキリ見える。
北側は二見ケ浦、玄界灘方面
東側は、今津、長垂、小戸(無線小屋方面)、福岡市街、宗像、北九州方面まで見通し。
そのため、テレビや電話などの中継アンテナが林立している。
これは最近建った地デジのアンテナ。
糸島半島エリア向けに送信している。
これは福岡方面の展望台に建っているアンテナ
ここに私も自分のアンテナを建てたい、、、、。
片道1時間弱、往復2時間弱の行程だった。
この後、古墳巡りに移行する。
その形から糸島富士などとも呼ばれている。
万葉の昔からいくつもの歌が詠まれており、その美しい形が古代より変わっていないことがわかる。
我が無線小屋の窓からも見えていた山なのでいつかは登らなくてはと思っていたが、いつかと思っていては死ぬまで登れないと思い、意を決して登ることにした。
登山道は三つ。
今回は楽そうな遊歩道と書かれていた東側から登ることにした。
思ったよりきつい。
なめたらあかんぞ、、と山に言われながら登った気がする。
途中、黒田長政が(1618年)に日光東照宮の大鳥居を献上した石切り場跡等が至る所にあったが、あまりの大きさに、どのようにして運んだのか驚いてしまう。
ここが山頂だが、何も見えない。
展望台まで移動。
西側は唐津、呼子方面がハッキリ見える。
北側は二見ケ浦、玄界灘方面
東側は、今津、長垂、小戸(無線小屋方面)、福岡市街、宗像、北九州方面まで見通し。
そのため、テレビや電話などの中継アンテナが林立している。
これは最近建った地デジのアンテナ。
糸島半島エリア向けに送信している。
これは福岡方面の展望台に建っているアンテナ
ここに私も自分のアンテナを建てたい、、、、。
片道1時間弱、往復2時間弱の行程だった。
この後、古墳巡りに移行する。
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