SSブログ

MISIA と 宇多田ヒカル [日常]

1998年2月21日、「つつみ込むように」が世の中に流れ出した。
MISIA 20歳でのデビュー。
ここから、日本における女性R&Bブームに火がついたと言っても良いだろう。
デビューアルバム『Mother Father Brother Sister』は250万枚を超えるメガ・セールスを記録した。
流れ星のように一気に登場したスターだ。
新しい楽曲も次々と発表されていき、よし、99年はMISIAの年になると誰もが思っていた矢先、こちらも流れ星のように登場したのが、宇多田ヒカル だった。



同じ年の年末、1998年12月9日、「Automatic」の登場で世の中がひっくり返った。
宇多田ヒカル 15歳 のデビューだ。
さらに、「圭子の夢は夜開く」などで演歌の女王と言われた藤圭子の娘ということでも話題騒然。
98年の年末は宇多田ヒカル一色となってしまった。
この段階で、それまでのMISIAブームに逆風?が吹き出した。
フィギュアスケートの 浅田真央 と キム・ヨナ もそうだが、どんな時でも、神様は必ず拮抗するような競争相手が出現するように仕向けられているように感じる。

そんな変化の中でもMISIAは淡々とアルバムを出し続け、本物志向の多くのファンに支えられ、10年間ほど国内外でのライブなども行い、コンスタントな売り上げが続く。
それまでTVには出演することがなかったが、紅白歌合戦で特別出演するようになり、昨年は東京オリンピックの開会式で 君が代 を独唱するなど、国民的歌手となった。

冒頭での話のように、宇多田ヒカルさんの出現時期がずれていたら、MISIAの今までの過程は大きく変わっていたに違いないと、今でも思っている。
しかし、これも神様のお導き、二人の歌姫の世界観を同時に享受することもできたわけでそれはそれなりにありがたいことだと思う今日この頃。


タグ:福岡 歌姫 R&B
nice!(5)  コメント(0) 

nice! 5

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント